民族問題研究部

Society for the Study of Nation Issues

設立趣意書

我々は今、未曾有の「無責任」が支配する時代に生きている。

 高度に発達した官僚機構、国境を越えて瞬時に移動する金融資本、そしてアルゴリズムによって最適化された情報空間。これら現代のシステムは、我々の生活をかつてないほど効率的に管理し、豊かさを提供しているかのように見える。だが、ひとたびシステムが破綻し、あるいは暴走して具体的な悲劇が個人を襲ったとき、我々は戦慄すべき事実に直面する。

 そこには、「誰」もいないのだ。

経済格差の拡大、環境破壊、あるいは突発的な紛争。これらの災厄に対し、指弾すべき「責任者」を探そうとするとき、我々が見出すのは複雑に絡み合った因果の網の目と、「規則に従っただけである」と繰り返す無数の執行者たち、そして「市場の論理」や「歴史の必然」といった実体のない抽象概念のみである。現代社会において巨大な権力は確かに行使されているが、その責任の所在は霧散している。アーレントがかつて喝破した「無人支配」は、今や極限まで完成されようとしている。


 「責任」とは何か。それは単に法的な処罰対象を特定することではない。起きた事象に対し、「これは私が(あるいは我々が)なしたことである」と引き受け、その結果に応答する能力のことである。しかし、グローバリゼーションと官僚制の肥大化は、この応答可能性を構造的に排除した。被害者は存在するが、加害者は存在しないという奇妙な現象――「責任の真空地帯」において、苦痛は存在するが、それを与えた主体が見当たらない。この不条理こそが、現代人の精神を蝕むニヒリズムの源泉である。

 我々が「民族問題研究部」を設立するのは、この脱政治化された世界において、再び「顔」のある責任主体を回復するためである。システムに責任を転嫁することを拒否し、具体的な血肉を持った人間集団の意志と行動として歴史を再解釈すること。それがなされなければ、我々は永遠に、顔のないシステムに翻弄されるだけの客体へと堕落するだろう。

 戦後のリベラルな国際秩序は、「世界市民」や「普遍的人権」という概念を掲げてきた。しかし、難民や無国籍者もこれに無条件に当てはめられてきたのだろうか。実態として、こうしたいずれの「国家」にも受け容れられない「他者」に対し、国際秩序によって与えられるモノは極めて限定的で、具体的に言えば、本邦における「仮放免」の市民には労働の自由も移動の自由さえも与えられない。また、本邦における在日朝鮮人の戦後の国籍剥奪に見られるように、その扱いの恣意性は「国家」によって管理されていることに裏打ちされている。「リベラルな国際秩序」が国家の存在を前提としている以上、国籍・在留資格の有無で人間の自由を抑圧する例は枚挙に暇がない。

 我々はこの問題を、既存のアカデミズムのように国家による保護の欠如に帰するものではなく、むしろ、権利の源泉を、国家という特権化された組織に独占させたことこそが、不自由を生み出す構造的な病根であると考える。

 したがって、本研究部は明確に宣言する。我々は、いかなる国民国家(Nation-State)の実在も、またその観念論的妥当性も認めない「リバタリアン・ナショナリズム」(Cf. Huerta de Soto)の立場に立つ。

 近代国民国家は、「民族(Nation)」という文化的な有機的結合と、「国家(State)」という暴力の独占機構を恣意的に癒着させることで成立した、歴史上極めて特異で人工的な構築物である。国家は、民族という自然発生的な紐帯を、徴税と徴兵、そして均質な管理のために利用し、搾取してきた。

 我々が「民族」に着目するのは、国家権力を強化するためではなく、国家という巨大な寄生体から社会を防衛するためである。民族とは本来、共通の言語、慣習、歴史的記憶に基づく広義の「私的財産」と「契約」の集積であり、国家の介入なしに成立しうる自生的な秩序である。

 むろん我々は、かつてのロマン主義的な過ち――民族を太古から続く不変の生物学的実体として神秘化する態度――を繰り返すつもりはない。同時に、ベネディクト・アンダーソンが論じたように、民族が「想像の共同体」であることは、それが虚偽であることを意味しない。それが人々のアイデンティティを構成し、死をも厭わぬ連帯を生み出す「社会的事実」として機能している以上、単なる構築物として脱構築するだけでは不十分である。

 問題は、民族という枠組みが「ある」ことではなく、それがどのように「政治化」されるかにある。我々は、民族を閉ざされた「殻」ではなく、他者との対話を可能にするための「足場」として、そして国家に依存しない自由な連帯の可能性として、批判的に再定立する。


活動方針
上記の問題意識に基づき、本研究部は以下の三つの専門部会を設置し、立体的なアプローチを試みる。

1.ナショナリズム部会
本部会は、民族意識の形成とナショナリズムのダイナミズムを理論的・歴史的に究明する。  「想像の共同体」はいかにして実体化するのか。言語、宗教、神話はいかにして動員されるのか。ナショナリズムを単なる政治的道具としてではなく、人間の実存的な欲求――承認への渇望や死への恐怖――と結びついた精神現象として捉える。ここでは、西欧近代の理論に加え、非西欧圏における「土着のナショナリズム」の論理を内在的に理解することを主眼とする。

2.人権問題部会
 本部会は、民族紛争や抑圧の現場で生じる具体的な人権侵害を、国家による保護ではなく、個人の自律と侵害に対する正義の観点から扱う。  ジェノサイド、民族浄化、難民問題、マイノリティの権利。これらに対し、被害と加害の構造を緻密に分析し、「誰が」「誰に対し」「どのような正義の名の下に」侵害を行ったのかを記録する。普遍主義の押し付けを排しつつ、相対主義のニヒリズムにも陥ることなく、具体的な苦痛に対する応答としての権利回復を模索する。

3.政治学部会
 本部会は、民族問題が政治的なパワーゲームの中でいかに操作され、制度化されるかを分析する。 連邦制の是非、分離独立の法的・政治的要件、多文化共生社会における資源配分のメカニズム等を扱う。特に、国家による強制的な統合ではなく、いかにして自発的な分離や提携による平和的な秩序形成が可能か、その制度的条件を探求する。

 本研究部は、上記の部会に加え、より柔軟かつ機動的な個別研究を行うための「研究会」を随時設置し、テーマごと、あるいは地域ごとの深掘りを行うものである。

2026年1月22日
民族問題研究部 発起人一同